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28件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1962-01-29 第40回国会 衆議院 予算委員会 第2号

日本の軍隊がタイ国平和進駐と称して乗り込んでいったときに、タイ国から徴発をした物資に対する代金として円を払って置いてきた。これが特別円。そればかりではないが、これが大部分。そうすると、普通の賠償とは違って、日本が商品を買うた代金だということにもなる。そういう事の性質にかんがみという意味なのか、何かほかにこうしなければならぬわけが総理はあるのか、それを得心のいくように一つ総理、御説明を願います。

田中伊三次

1959-12-23 第33回国会 参議院 本会議 第18号

なお、賠償昭和十五年九月の平和進駐以来の実害をもカバーすべきではないかという質疑、及び日本側の主張する戦争開始日前の損害に対して将来請求権が提起されることはないか、との質問があり、これに対し政府は、平和条約戦争した国との条約であり、従って、賠償法律的に戦争状態にあったということが基準となること、及び、将来の請求権の問題に関しては、今回の賠償協定に定める場合のほか、日本に対する請求権は存在しない

草葉隆圓

1959-12-21 第33回国会 参議院 外務委員会 第23号

○曾祢益君 どうも非常に御説明が、大へん失礼ですけれども、たどたどしくてよくわからないのですが、八月二十五日以前の特別円の支払いが、これが賠償性質でない、戦争に基づくあれでなくて、まあ一種のいわゆる平和進駐ですか、軍事占領という実態をとってはおりましたけれども、とにかく日本フランス国との協定によって生じた、これは別個の戦争による債務、すなわち賠償性質を持たざるものだということは私も承認します。

曾禰益

1959-12-19 第33回国会 参議院 外務委員会 第22号

それは、その前に日本軍平和進駐しておりまして、実力をもってインドシナ銀行正金銀行との間に預け合いさしたのですから、金約款というものはあり得ないと思う。そこで、政府は、金約款というものは否定した立場においてこの決済をされたのだ。で、立場は、前は条約局長は否定されたような御答弁でしたが、その点いかがですか。

木村禧八郎

1959-12-15 第33回国会 参議院 外務委員会 第18号

仏印日本との関係は、これは法律的な解決、政府がとっておられる態度は、従来いろいろ、たびたび言ってこられましたから、私どもはまあここでそれをあらためて聞こうとは思いませんが、日本仏印に、いわゆる平和進駐と称して兵を進め占領をした、あるいは三月八日のクーデター等もございますが、日本仏印に、いわゆる南方作戦と申しますか、最高指導会議の決定に従って進駐あるいは占領をいたしましたときに、向こう政権はバオダイ

吉田法晴

1959-12-15 第33回国会 参議院 外務委員会 第18号

吉田法晴君 最初、いわゆる平和進駐と称して参りました当時は、フランス植民地であり、あるいはアンナン帝国等のあれもございますが、三月八日、松本俊一大使最後通牒を突きつけて云々ということでございましたから、フランス政府出先機関大使相手にして折衝をしたことは私も知っておるのです。

吉田法晴

1959-12-15 第33回国会 参議院 外務委員会 第18号

これは侵略者とそれからかいらい政権との間でいえば、協力関係はあっても、敵対関係はなかった、あるいはその当時平和進駐といわれたように、侵略者かりいえば、その当時のあれは平和進駐でしょう。あるいは戦闘行為はなかった、向こうもそのかいらい政権である限りにおいては、侵略がなかったと言われるかもしれない、そういう政権の間に賠償交渉が実際に成り立ちますか。

吉田法晴

1959-12-08 第33回国会 参議院 外務委員会 第13号

どもがそういう解釈をとっており、また、その点に関して向こうと何か論争をして、こちらから押しつけて何したということではございませんで、賠償の全体として両国の間に意見が一致し、また、それ以外には請求しないということを、これは当然のことでございますけれども、明らかにしたということでございまして、特に私ども何か威圧を加えた形のような意味において、今、森委員お話しになっておるような、最初仏印のいわゆる平和進駐

岸信介

1959-12-07 第33回国会 参議院 外務委員会 第12号

○木村禧八郎君 そこで、なお疑問に思われますのは、最初ベトナム側が出してきたのは、一九四〇―四五年、平和進駐以後。ところが、その次の、これは日本側の、その次の数字日本側算定でしたね。三九年を基準として、一九四四年九月から翌年八月までの損失額を出したのでしょう、日本側が一カ年の……。それで、ベトナム側は四 ○年から四五年でしょう。日本側においては四四年九月から四五年八月なんですね。

木村禧八郎

1959-12-04 第33回国会 参議院 外務委員会 第11号

その前に、たとえば平和進駐でも、撃ち合わなくてもいろいろな物資の動員をやりますね、軍事動員やったりあるいは軍票を発行したり、そういうこと。そういうこともやはり軍事行動の中に入るでしょう。その戦争の時期を定める場合に、パリに入った日とか何とかいう、そういうことも一つ政府見解でありましょう。

木村禧八郎

1959-12-04 第33回国会 参議院 外務委員会 第11号

三九年を基準にいたしまして、日本軍平和進駐始まって以来の数字をあげておりますので、全体的な損害というものは、これによっても結果的にはつかめるわけでございます。こうした向こうがあげていますもの以外に、いろいろと小さい事件もございましたでしょう。しかし、私どもとしましては、この向こうがあげておりますものにつきまして、これを判定いたしました。向こうがあげないものまで探し出すということはいたしません。

伊関佑二郎

1959-12-03 第33回国会 参議院 外務委員会 第10号

一九四〇年に平和進駐が始まっておりますので、そういう異常なる事態の起きる前をとっております。それからわが方は戦争期商を四四年八月二十五日以降としておりますので、最後の約一年というものの損害を見ておるわけであります。それから経過説明に引用をいたしました数字は三九年はとっておりません。米の場合は四三年という数字をとっております。

伊関佑二郎

1959-11-27 第33回国会 衆議院 本会議 第12号

それは、政府答弁によりますると、サンフランシスコ条約南ベトナムが参加したから、その第十四条に従って賠償の義務を負っておるというのでございまするが、はたして、南ベトナムが、いわゆる日本軍平和進駐から終戦当時までの関係において、このサンフランシスコ会議に参加するところの交戦国としての独立国家であったかどうかという点について多大の疑問があることは、過般来の外務委員会あるいは予算委員会におけるわが党の

田中織之進

1959-11-27 第33回国会 衆議院 本会議 第12号

すなわち、日本軍は、昭和十五年九月、仏印平和進駐しましたが、このとき、フランスヴィシー政府は中立を宣言していたのでありますから、日本フランスとの間に戦争状態がなかったことは、きわめて明らかなところであります。その後、昭和十九年八月に至って、ドゴール将軍パリに帰還いたしました。政府は、このときをもって日本フランスとが戦争状態に入ったとの見解をとっているのであります。

塚本三郎

1959-11-26 第33回国会 衆議院 外務委員会 第16号

わが国は、仏印には当初は平和進駐をいたしましたので、その間の損害は少なかったのは当然でありますが、昭和十九年八月より日仏戦争状態に入るとともに、大規模な作戦及びゲリラ討伐作戦等によりまして、非戦闘員の殺傷、住宅、工場、道路、橋梁等の破壊を生じたのであります。ことにサイゴンには南方総軍司令部がありましたために、有形無形損害は相当なものでありました。

床次徳二

1959-11-25 第33回国会 衆議院 外務委員会 第15号

○岡田委員 平和進駐お話しになりますが、これはおかしいじゃないですか。ヴィシーとの間に条約を結んだものは法律上有効なものですか。ヴィシーという政権は、これはかいらい政権じゃありませんか。ドイツ占領地域内に作られ、しかも休戦協定によってはドイツ占領費を払うことになって、そしてドイツフランスとの協力の原則によってナチスに指導された政府ヴィシー政府じゃありませんか。

岡田春夫

1959-11-24 第33回国会 衆議院 外務委員会 第14号

ほんとうに平和進駐をしたのだし、仲よく日本占領下においても喜々として向こう住民平和的生活があったことは、みんな知っておることなんですね。にもかかわらずドゴール政権が帰ってきて、そして宣戦布告をしたから、またそれを契機としてフランス軍の武装を解除したからというようなことで、わずかな小ぜり合いはあった。あったけれども今ここに二百億円というような賠償をせなければならぬかどうか。

春日一幸

1959-11-24 第33回国会 衆議院 外務委員会 第14号

仏印においては平和進駐だからむちゃなことはできない、すべて政府との間で協定を結んで、そういうような発行したものについてはそれぞれイヤマークをつけて後日これを弁償する、そういうような金の現物の準備もしておいて、そうして二十五年の一月には連合軍の出した了解を得て、フランス政府に対して三十三トン払ったわけですね。

春日一幸

1959-11-24 第33回国会 衆議院 外務委員会 第14号

それは日・仏印のこういう協定によりまして、すべてが平和進駐になっておる、だから軍票というものは発行する、あるいは今申し上げたようなそういう通貨方式をとるのだが、しかしそのためには結局その裏づけとなるところの金を準備しておいて、そうしてそれによって決済が行なわれておる。言うなれば、そんな表現はできるかできないか知らぬけれども平和進駐しておったところの日本軍は、いわばお客さんみたいなものですね。

春日一幸

1959-11-21 第33回国会 衆議院 外務委員会 第13号

これは日本軍が直接アンナン人と鉄砲を撃ち合ったのではないのですから、フィリピン、インドネシアに入り込んだのとは違って、一応は平和進駐で行っておったのですけれども、それが長引き、先ほど申し上げたように、レパルスその他をやるときにもあそこを使っておったり、南方進出の基地としてはあそこは唯の拠点であり、また軍需品補給地でもあったのですから、そこで敵側にしてみれば、イギリスにしても、アメリカにしても、あそこにおける

横山正幸

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